食べ物の話題ばかりの日記になっているのはいかがなものかと思いつつ、今日も食べ物関連の話題を。
大学生の頃からか、就職したての頃からか、とにかく十数年前から京○デパートの駅弁大会に行っている。ビョーキで休職してから3年くらい行ってなかったけど。
私は毎年目新しいお弁当を買うのを楽しみにしている派(?)ではなく、買うものは決まっている派(?)で、さらに駅弁ではないものを必ず買って帰るのだ。


それは、飛騨高山の二三四屋のみたらしだんご。
みたらしと言ってもとろりとした甘辛い餡がかかったものではなく、お団子を火であぶりながらしょう油ハケで塗っているだけのもの(参考)。こういう言い方は良くないが、本当に普通のお団子である。それでも何で毎回毎回必ず買っているかというと、女将さんであるおばあちゃまがとても愛らしいのである。背中がすっかり曲がってしまった小さなおばあちゃまが団子をその場で焼いているのだ。最初にお会いしたのがいつだったか忘れてしまったが、私にとっては「京○デパートの駅弁大会 = 女将さんに会いに行く場」になっていた。会いに行くって言っても、「○本ください。」「はい。○○円です。」と言う客と店員の定型的な会話に「お元気で。」と2,3言の会話をかわすかどうかなんだが。


休職のブランク明けで行った時も、もちろん最初に向かったのは二三四屋だった。そしたらいないのだ、女将さんが。お店の人に「女将さんはいらしているのですか?」と聞いたら「今年は来ていません。」とのこと。その後、女将さんが東京に来ることはなく、お店の人に「女将さんはお元気ですか?」と伺いながらお団子を買っていた。
ああ、これは飛騨高山まで行かなきゃいけないなと思いつつも、実現しないまま数年経ち今年も駅弁大会の会場へ。やはり最初に二三四屋へ向かったら、「二三四屋の女将である田村艶江さんは11月24日にお亡くなりになりました。」と書かれた女将さんの写真が載った札が。


新宿の、それも相当混雑したデパートの中で目がうるうるし始めて、涙がこぼれそうになるのを必死に我慢した。飛騨高山のお店に行かなかったことを後悔した。年に1回、ほんの1分くらいしか会わなかった人なのにとてもとても悲しかった。おそらく祖母を重ねて見ているのだろう。いつかこんな日が来るとわかっていても、いつまでもその日は来ないと思っていたのだと思った。それから大往生*1だったんだから仕方ないと思い直し、お団子を買って帰ってきた。


心よりご冥福をお祈りしています。


飛騨高山にお団子食べに行かなきゃなぁ。


※「こちらのブログ」に女将さんの写真が載っています。少なくとも一昨年まではお店に出ていた模様。笑顔がとても素敵です。

*1:調べたら、96歳だったとのこと。