メモ

他人…特にお客さまには「助けて」と言うのを躊躇ってはいけないと言っている。これからも言い続けるだろう。やっとのことで手が差し伸べられた途端に亡くなってしまう人を少なからず見ているので、できるだけ早い内に「助けて」は言った方がよい。
確かに人口比で団塊の世代の次に多い世代*1古い統計だけど参考)で、就職する頃に氷河期だったから目立つんだろうけど、30代だからと言うのはあまり関係ない気がする。この国全体が「助けて」と言えない雰囲気を醸し出していているし、助けてもらえるのは稀有なことなんだと思う…って、私の職業的にこんなこと書いていいのか?


ちょっと余談。母は色んな方にご迷惑を掛けた人だったのだが、そんな母を何とかしようと手を出した人はみんな最後には持て余して「アナタは長女なんだから」とか「子どもが親の面倒を見るのは当然」と言って私に押しつけにいらっしゃいましたよ。子は端から手に負えないのがわかってるから放っているって言うのにね。皆様正義感がお強くていらっしゃる。


以下、グダグダとやさぐれたことを書くので、たたみます。
昔の私は「何に困ってて」、「どうなることが望ましくて」、「どのように助けて欲しいか」を言葉にすることができなかったし、言ったところで何も変わらないだろうと思っていたので、「助けて」と声に出さなかった。
今の私はそもそも助けて欲しいと思わない。何度も書いているけど、精神的・身体的・経済的に誰かに依存しなければならなくなったら、そこで終わりにするのだ。


追記

生き残れば善し、ってのはただの動物の生でしょう。人間は、もうとっくにそれ以上のものだと思う。「まず生きなくちゃ何も出来ないだろ」っていうのは個々人の生に対してのことであって、人類ぜんたいとしては次のフェーズに移行しちゃってる(ことに気づいて欲しい)。だから「生きて、どうするのか」をみんなが常に頭に置いた上で、勉強や仕事や、日々の生活や、投票、をしなくちゃだめだよーと思うんですが。

と、みちアキさんがおっしゃってます。
「生きて、どうするのか」とかどうでもいいですわ。死ぬまでできるだけ他人様にご迷惑掛けたくないだけだな。なかなか死なない自分という生き物の面倒を見ている感じ。

*1:我々の世代が高齢者になる頃には完全に邪魔者扱いなんだろう。姥○山が復活するかもね。