本日の気になったエントリ

※「累犯〜」でいらした方へ。(2010/9/11)
以下は、この本とは全く関係ないことが書かれてます。申し訳ございません。ちきりんさんの影響力はすごいと思いました。

1年以上前のエントリなので今さら感たっぷり。ブックマーク数がすごいのに何故今まで気づかなかったんだろうと考えたところ、その頃はパソコンが壊れてWebの世界から離れていたからだという結論になった。

この「荻野氏」はウチの母と同じタイプである。その場しのぎで何とかなればよくて、長い目で行動の結果を予測することができない。人に助けを求めなくても、彼(女)よりも頭の回転の速い人たちが見かねて何とかしてくれるので、本人が困ることはない。さらに何とかしてもらったことに感謝する気持ちを持たない。「持てない」のではなく、「ありがたい」という概念が何らかの理由で欠如してるんだと思う。あるいは、本人は困ってないので、勝手に他人が何かやってるくらいにしか思えない→だから感謝の気持ちが沸かないのかもしれない。そういう場合でも、学習により「こういうシチュエーションでは『ありがたい』と感じ、それを言葉にするものである」と身につけることはできるだろうが、少なくとも母の場合はそれができなかったようだ。

確かに「この人は困っている。何とかしてあげたい。」と思って動くのは、何とかしてあげたいと思っている自分のための行動なので、それに対して感謝を迫るのは筋違いなのだ。それでも私は、上記エントリを書いた人々の、やったこと全てが実にならない/次々に裏切られる/その上余計なトラブルに巻き込まれた時の徒労感を実感として理解できる。

肉体の筋力は目に見えてわかりやすく、筋力のある者が筋力の無い者に対し、俺がこうやって重い荷物を持てるのだからお前も持てるだろう、と言うのは無理を強要しているのだとすぐに理解できる。しかし精神の筋力は皆が平等であるかのように扱われる。仕事をしろ、と言われてもできない場合、精神の筋力が根本的に足りておらず、作業に対する負荷に耐え切れていないのかも知れない。そして精神の筋力が足りない場合と、ただの怠惰とはよほど注意深くなければ見分けることができない。

現実の社会では、いい歳をした人間が精神の筋力を充分に具えていない場合、その多くがただの怠惰として処理され、筋力の増強をしなければならないことを考慮する者は少ない。

精神の筋力を具えない者は、そうであることを理解されないまま精神の筋力を具えた者の基準で扱われ、病気ではなく、ただの怠惰、無能、終には気狂いとして打ち捨てられていく。

「精神の筋力が足りない」者に対して、その者が自立して生活できる程度まで素人の手で何とかすることはほぼ不可能だと私は考えていて、*1医療従事者や福祉従事者などのプロ仕事だと思っている。でも、その人がそういうレベルの人間であることを判断することすら難しいのに、さらに誰にどうやって委ねればいいかがわかっている人間なんて少ないのではないだろうか。もっと言えば、プロの仕事がちゃんと機能しているかだってあやしいことは、2つめのエントリの保護観察官とのくだりを読めば推して知るべしである。

ではどうすればいいのか?を考えなくてはいけないのだけれど、この本を貼ってお茶を濁してしまおう。(知的と精神を混同しているというツッコミはなしで。)

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

俺が病院の仲間のうち四人のように死んでしまわなかったのは、その時の上司が俺の面倒を見てくれていたからだ。俺は退院後その上司の家に一ヶ月住み、まるで人間とは思えないような異常行動と支離滅裂な発言を繰り返す俺に対し、「お前は元に戻るから、もう少し生きろ」と常に言っていた。内臓の全てが狂って腹の中を動き回るような異常な感覚に襲われて地面でのたうち回っている時には後ろから全身を抱くように締め付けて抑え込んでくれたし、俺が少しでも思考力を恢復して長い言葉を言えるようになる度に「よくなったじゃねえか」と言ってくれた。
荻野には誰もいなかったのだ。そしてそのような者が死んだ前例が、俺には四人もあった。

誰にでも「お前は元に戻るから、もう少し生きろ」と言ってくれる人がいればいいのにね。


で、また母の話。母が理解できていたことは以下のとおり。

  • 何かを買うにはお金が必要
  • 1.働く 2.借りる 3.もらう 4.盗る のどれかでお金が手に入る

このうち母は2,3をする能力があり、子と親のお金は4により自分のものとしていたが、本人にそれが窃盗であるという認識があったのかは不明。2か3の応用型くらいに思っていたと考える方が納得がいく。もしくは、「お前の金は俺の金。俺の金は俺の金。」ってジャイアンか。また、2については「返す」必要があるという知識があったが、返せない時はしかたないと考えていたようだ。
そうこうしていると債務額が恐ろしいことになっていったのだが、「返せないものはしかたない」ので放置。祖父母が相当額を何とかしていたが、次から次に出てくる返済請求に憔悴していた。そんな祖父母も亡くなってしまい、またもや債務額は恐ろしいことになっていったのだが、そうこうしているうちに母も亡くなってしまった。


私は民法が大嫌いなのだが、ひとつだけ好きな条文がある。

第915条 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。

この国は、親の金銭的な負債を負わずに子どもが自分の人生を歩む道を用意している。
ま、あくまでも「金銭的な負債」だけであって、それ以外の負債についてはケアしてくれないんだが(予防策なんていわずもがな)。

*1:共倒れ上等で生命を維持する事は可能だと思う。