本日の気になるエントリ

kayokichi2009-04-20

帰宅途中の電車の中で読んでて泣きそうになった。とてもシンプルで優しくてよい文章だと思う。

中2病の私は、許せない自分が生きていることを許しているという自己矛盾を自覚しながら生きております。違うのは「自分を許す代わりに、自分を正しい人間であると規定することを止め」るも何も端から正しい人間じゃないよね、と思っているところかと。「何も失うことなしに自分を許すことは不可能だ。」と思っている時点で厳しい人だなと思う。
みちアキさんは「大丈夫」を連呼していらっしゃるけど、大丈夫な理由がわからない。でも、あのエントリを読んでいて「大丈夫」と言われるのは心地よいことなんだろうとわかる。疲れてる時は、誰か大丈夫だよ、平気だよって言ってくれないかねーと甘ったれたことを思ったりもするし。

一方でこれを読むと所詮「天は自ら助くる者を助く」なのよね、となる。そして私は自分に「大丈夫」とは言わない。だいたい何が大丈夫なのかさっぱりわからんし、わかったとしても、許せない自分には「大丈夫」とは言ってあげないのだ。
という矛盾を抱えて永遠の中学2年生として寿命が尽きるまで生きるのでしょう。その矛盾が自分を困惑させていることがわかっていて、「大丈夫」と言わないことで許されている自分に「本当は許していないのだ」と伝え続けることが自分にできることだと思いながら。あれ?これって許している自分への免罪符だな。許している自分と許さない自分とのせめぎ合いのループ。それで自分のしっぽを追いかけて疲れ果てた末に死んでしまう小動物になってしまえと願う。
許すとか許さないなんてどうでも良くなる状態を「許している/許されている」と言うか「真のダメ人間になった」と言うのかはわからない。人によるんだろう。


で、みちアキさんに聞いてみたいのは、奥様への償いとか謝罪をどう考えているのかということ。別居しつつも長い間離婚せずに生活費を渡し続けているのはそのためなんだろうか?でも、昔のエントリを読んでいるとそうは感じられないんだが。それとも償いなんてしなくても大丈夫とご自分を許しているのだろうか。これもちょっと違う気がする。


今日は早めに帰って(と言っても、打ち合わせが終わったのは20時半だ。)余裕があるから、「おんがくとらさん」を観て寝ることにしよう。あ、画像は我が家の2本道を隔てたところです。