気になるエントリ

http://d.hatena.ne.jp/./hotsuma/20081004/p1」から孫引き「トンデモ嫁に関するフィールドワーク - 痴呆(地方)でいいもん。

ここで、疑似科学批判の人に伝えたいのは、ホメオパシーとかフラワーレメディにひかれる人は必ずしも効くとか効かないとかを問題にしているのではないように見えることです。確かに彼らは人にすすめるとき効き目を話すでしょう。しかし、実際にホメオパシーをしている場面を見れば、それは治療というより、カウンセリングです。ホメオパシーでは同じ症状であっても、各自の根本体質ごとにちがう薬(というか砂糖玉、「波動」がちがうだけなんで、科学的にはどれも同じはずです)を与えるので、根本体質と病状の関係をさぐります。実際の治療は砂糖玉なめるだけなんで、治療のほとんどは、その人の根本体質をさぐる、つまり、その人がどんな人かさぐること、そして、その根本体質と病気の関係をさぐることです。つまり、「あなたはどういう人で、あなたにとってこの病気ってなに」っていうことについて、延々話をするためです。治療者が治療される人の人格に向けられる注意の量は通常の医療とくらべものになりません。それ自体、少なくとも精神衛生にはいい影響はあるように感じます。それとホメオパシーは科学的根拠があるかどうか別として、自分にとっての病気って何かということに答えを与えてくれます。多分、この部分が通常の医療でうめられない限り、ホメオパシーやフラワーレメディをしている人はトンデモでありつづけるでしょう。そして、自分の妻がそうだからなのかもしれませんが、こういうものを医療に求めるのは、そんなに変なこととは思えないのです。

実際、医療全般に不信感をもっている家内でさえ、患者の人格に注意を向けてくれる医者は信用します。私たちは子供の3歳児検診のときにある小児科の先生に出会いました。息子は、多分、父親からの遺伝で学習困難の傾向があります。3歳から小学校にあがるくらいまで、その先生のところへ定期的に息子の発育状況を見てもらいに通いました。先生は御自分が小さいとき学習困難であると、最初に私と電話で話したとき伝えてくださり、通院の際も検診というより、息子と本気であそんでくれているようでした。また、息子は小学校にあがるとき、半分詐欺のような手口で養護学校にいれられかけたことがあったのですが、そのときも、学校にどのように対処するかアドバイスをしてくださいました。彼には夫婦ともども全幅の信頼を寄せており、家内の頭のなかの悪い病院のカテゴリーに、この先生の病院は入っていないのは確実です。

自分の話をひたすら聞いてもらって、さらには理解&肯定してもらうという経験は生きて行く上で必要なことである、ということはカウンセリング関連の文章であろうとなかろうと散見していて、どうやら世の中では通説であるようなのね、と理解はできる。でも、自分にそれがあてはまるかのかがわからない。
心理士さんが私とのカウンセリングを終了させない理由の1つにこれがあるのだとしたら、ワタクシ、肯定されてる感は全くないのですよ。全く全然。私の話の字義上の意味を理解してくれているのはわかる。それで十分だし、それ以上のことはどうしてもこれは金銭が介在していて心理士さんはお仕事としてやっていらっしゃるのよねーと冷めた目で見てしまう自分がいる。そもそも理解して欲しいのかと問われるとそうでもないと思ってしまうし、個人的な付き合いでそれを求めてはいない。だって私のドロドロ話を聞いたら確実に引くもの。相当黒い人間ですわよ、ワタクシ。


1回目の復職時に某人からバッチフラワーレメディのカウンセリングを激しく勧められたのだが、のらりくらりと断った。それはバッチフラワーレメディの効果に対する懐疑心からではなく(現にレメディ自体は飲んでみようかなと思うことがあるし*1)、初対面の他人と話をするのが苦手なのと、何よりも人様に聞いてもらうほどの話題がないと思ったからだ。


今も続いているカウンセリングは愚痴吐き機能は果たしていると思うけど、それは生活の中で言葉を選んで相手とやり取りして現実的な対応をした方が建設的なような気がしてしまう。じゃあなんで止めないの?と問われれば、止めるための儀式(「止めたいです」と伝えることとか、止めたい理由を話すこととか、これまでの成果の報告とか)が甚だ面倒臭いからだ。こちらは住まいも職業もばれているので、仕事を辞めて引っ越すのでもう通えませんと言う見え見えの嘘をついて止めることができないんだな。
心理士さんはカウンセリングを生業としている人としては当たりの部類だと思っているのだけど*2、私は「この人には話しても大丈夫。」という信頼関係を築くことができないままだ(通説ではその先にあると言われている「理解して欲しい」という望みはないんだが)。で、行き着く先は私という人間に問題があるんだというカウンセリングを始める前からずっと抱いている劣等感。なんだかなぁ。


追記:この日記にも書いていますが、特に職場での人間関係において周りの人から愛されているなぁという実感はちゃんとあって、感謝もしております。念のため。
 

*1:必要とするレメディを探るために自己分析をしなくてはならないので萎えるのだが。

*2:数回の遅刻と2回のすっぽかしはありましたけどね!