この手のエントリを読むとなぜかいつも「息子の成長メモ - S嬢 はてな」 を思い出す*1。このエントリは何度も再読している。

12.ドラマ「僕の歩く道」放送がある。このドラマを見ながら母に自閉症を説明され、自閉症者に対しての苦手さが若干緩和される。

  • このドラマを見ながら「おかあさん怖いよ」と言う。「自分が大人になって子どもを持つようになったら、と思うと怖い。普通の子は生まれないんじゃないかと思う」と言う。「それは誰にもわからない。わたしだってアンタ産むとき怖かった」と答える。「ただどんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していくことだと思うよ」と答える。

この部分の「わたしだってアンタ産むとき怖かった」がずーんと響く。この方の他のエントリにあった、「千人に一人しか通らない輪を自分はくぐってしまった。」というようなニュアンスの言葉*2もセットになってずどーんと。小学生の頃既に「自分の飯代は自分で稼ぐべし」と叩き込まれていた私は、稼ぎに行けなくなる事態に遭遇したらどうすればよいのだろうと考えていて、その中に「常時介助を必要とする障害がある子を持つこと」が含まれていたのだ。*3って改めて書くとすげー嫌な小学生だな。
で、現在。その頃の私の思いが何か影響を与えてるのかもしれないしそうじゃないかもしれないし、具体的にどうこうする予定もつもりもあるわけでもないのに、「千人」が年々結構なスピードで小さい数字になって行くことに漠然と怖さを感じる時がある。だからと言ってどうしようもないし、こつこつと解決できる自信も気力もないし、何かしらの覚悟をするわけでもないので、無為に時間が過ぎていくだけなのだが。
そもそも家族とは何ぞやがわからないままだし*4 *5、家族を持つことを「当たり前のこと」と考える人たち&ブックマークに「覚悟なんていらない」とコメントする人たちはどう生きてきたらそうなるのかがわからないし、人と接するのは疲れるし、一人が楽だし、おしまいは行旅○○人希望だし。*6嗚呼、非コミュ万歳。*7


オチはなし。私のための殴り書き。そもそも最初のリンク先に書かれていることから離れてしまっているし。あのエントリとさらに元記事の文脈での「覚悟」については、それはそれでまた思うことがあるのだけども。自分が生み出す赤の他人の人生。


追記:読み返すと自分は加療が必要な程度ではないけれど、うっすーくSzか自閉症スペクトラムの傾向があるんだろうなと思う。というより「こっち」「こっち」かな…とラベリングすれば安心するの?(嘲笑)< 私

 

*1:そして彼はどんな大人になるのだろうと想像する。

*2:御本人の方は、この後にそれを前向きに捉える言葉が続くんだが。

*3:特に当時は何の知識もなかったしね。

*4:だから、「このエントリ」にあるような思いを抱くようなことはないと思う。

*5:これに関しては、わずかではあるが、それを教えてくれる・理解させてくれる他人を期待している自分を認めざるを得ない。でも、同時に「してくれる」ことを期待している時点で駄目だということも理解している。他人と関係を築くには相互の働きかけが必要であることくらいはわかっているつもり。でも働きかけることはしないし、する気にならないし、苦手だし、しなくても生きて行けるし、楽だ。どうすればいいかわからない、という言い訳も持っている。でも、それはtry and errorの繰り返しで身に付けるものでしょう→でもやりたくない(怖いし、失敗嫌いだし)、で自己完結しているので口には出さない。ってこの日記で書いてるけど。

*6:根拠もなく映画版の「嫌われ松子の一生」のような最期になるんだろうと考えている。ちなみに原作は未読。

*7:こう書く都度、自分は現実と向き合わずに逃避しているコドモで、いつか痛い目に遭うのだろうと思う。で、遭えばいいさ、自己責任なんだから後悔したり、他人に八つ当たりしたり、迷惑かけるなよと思う。