自分のため

これは自分のためのメモ。

hotsumaのURLメモの「医者の本音」論争の中で紹介されていたエントリ。(このエントリの大元になったブログは閉鎖されてもう読めないし、私はそのブログに書かれていた内容の是非を言うつもりはない。)

自分のやっていることは 常に不充分である そう思っていて 間違いありません。
行政も 医療も いつだって 十分なものを与えては上げられないんです。
よろしいですか。
「いつだって」 充分ではないんです。
「いつだって。」 このことを 徹底的に心に叩きこみなさい。

個人的にはゼイキンにしてもシャカイホショウのための資金にしても、調達の仕方から使い方まで変だよねと思う。ここからお金を持ってくるんじゃなくて、他から持ってこられるでしょう?そんなことにお金使わないでもっと必要なことがあるでしょう?と。
シャカイホショウセイドだってそうだ。政治屋さんの仕事にはいつも誰かの意図が働いている。本当に救われるべき人が救われる制度なんてほとんどない。それ以外の「誰か」のために作られているんだ。
それを承知の上で、助けが必要な人のために自分の仕事に真摯に取り組まなくてはいけないのだろうか?


仕事をしていて思う。やっとの思いでここまできた、その人の抱えている事情の重さを少しでも軽くできたらと。そして、現状の制度と、その枠の中でしか仕事できない(これは仕事の性格上そうならざるを得ない部分もあるけれど)自分の非力さを恨めしく思う。できるだけの事をしたと思っても、他の人に「そこまでしなくてもいい。」と言われても、相手が望む結果に少しでも近づけたのか、何をしてもただの自己満足じゃないかと思う。
これは仕事だとわかっていても、割り切れずに歯がゆい思いを家に持って帰ってきてしまう。

いつだって不充分なのだから 
どうやったら余計に仕事を増やせるだろうか そう思っていて間違いありません。
余計な労力を費やすことのできる出来事に出会えたことに感謝をしなさい。
それが 仕事に対する誇りでは ないでしょうか。

ここを読んで救われました。この言葉を忘れずにいたいと思います。
ありがとうございます。